紙の出版市場“1兆円割れ”は本当に衝撃なのか――消費者物価指数と生産年齢人口を考慮して見えた異なる景色

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鷹野 凌 2026.02.17
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出版科学研究所は1月26日、2025年出版市場(推定販売金額)を発表しました。紙の書籍+雑誌は9647億円と、1975年以来の1兆円割れとなりました。これを受け、ニュースの見出しには「50年ぶり1兆円割れ」「ついに1兆円割れ」「1兆円割れの衝撃」など、悲壮感の漂う文言が踊っています。

「1兆円」や「50年」は区切りの良い数字ですから、キャッチーで使いやすかったというのもあるでしょう。しかし私は、年末に試算した時点で紙は年間1兆円割れを免れないのは見えていましたし、そもそもインフレ率を考慮したらいまさらな話でもあるため、「1兆円割れ」「50年ぶり」をことさらに強調する気にはなれませんでした。いちおう本文には書きましたが、タイトルにはあえて入れませんでした。

インフレ率を考慮すると、違う景色が見えてくる

そもそもいまの1兆円は、50年前の1兆円と等価値ではありません。総務省統計局によると、2020年を100とする消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合指数)は、50年前の1975年には53.1でした。つまり2025年の1兆円は、1975年の物価で換算すると4808億円です。

※以下のグラフ画像はすべて自由にご利用ください。

2020年基準 消費者物価指数 長期時系列データ

2020年基準 消費者物価指数 長期時系列データ

以下、ひとまず紙の出版市場だけの話をします。また、出版科学研究所から発表された値を「名目市場」、消費者物価指数に基づき物価変動を取り除いた値を「実質市場」とします。では名目市場と実質市場を比較してみましょう。

ここ数年、急激に物価が上昇しているため、2020年基準消費者物価指数で計算すると、2025年の実質出版市場は8621億円になります。そして「1兆円割れ」は2023年時点ですでに起きていたことになります。また、2025年の「50年前」である1975年の実質出版市場は1兆8152億円になります。名目・実質市場の推移グラフを重ねたのが以下の図です。

紙の出版市場推移(億円)

紙の出版市場推移(億円)

さきほど「いまさらな話」と言った意味がおわかりいただけるでしょうか。「50年ぶり」どころの話ではないのです。では「実質出版市場が1兆円未満だったのはいつか?」も少し気になるところですが、2020年基準の消費者物価指数は1970年以降しか存在しません。2010年基準で計算すると、1兆円未満だったのは1966年まででした。

雑誌・書籍それぞれを見ると?

出版市場=書籍市場+雑誌市場なので、書籍と雑誌を個別に見た場合どうなるかも気になります。まず雑誌市場を見てみましょう。物価変動の影響で、ピーク時はより高く、直近はより低くなります。当然のことながら、名目市場より実質市場のほうが鋭い落ち方になります。2025年はピーク時の5分の1ほどになってしまいました。

紙の雑誌市場推移(億円)

紙の雑誌市場推移(億円)

続いて、書籍市場です。雑誌市場に比べたらマシですが、それでもピーク時の半分以下になっています。雑誌も書籍も、2014年以降の落ち込みがとくに激しくなっているように見えます。

紙の書籍市場推移(億円)

紙の書籍市場推移(億円)

実はこの「インフレ率で調整した値で検討すべきだ」という意見は私のオリジナルではなく、2014年に朝日新聞社(当時)の林智彦氏がCNETの連載「電子書籍ビジネスの真相」で主張していたことです。CNETのオリジナル記事は画像が欠損しているため、Wayback Machineへのリンクを貼っておきます。

林氏は当時、書籍は「1人あたりの実質金額で見ると、どうやら1973年あたりから、書籍の消費金額というのはあまり変化していないようです」と、雑誌は「よく見ると、書籍と同様、現在の水準は1973年頃に戻っただけとも言えます。1995年~97年頃の拡大があまりにも激しかったので、落差が目立つだけなのです」と、それぞれ結論づけています。

1人あたりの金額を算出すると?

ただし、林氏がこの記事を書いたのは2014年ですから、検証は2013年以前の値で行われています。では、当時と同じように「1人あたりの実質金額」を出すと、2014年以降はどのような傾向になるでしょうか。

なお、日本の総人口は2010年がピークですが、生産年齢人口では1995年がピークです。また、出版市場のピークは1996年です。このことから、出版市場の減少傾向は、総人口というより、生産年齢人口の減少に影響を受けている可能性があります。

日本の人口推移

日本の人口推移

そこでここでは、生産年齢人口で割った1人あたりの金額だけを検証してみます。まず雑誌です。林氏が検証した2013年まではまだしも、それ以降は1人あたりの数字もより鋭角に落ち込んでいます。ここ10年ほどのあいだに雑誌が急激に買われなくなっていることが改めて可視化されてしまいました。

紙の雑誌市場推移(生産年齢1人あたり)

紙の雑誌市場推移(生産年齢1人あたり)

では書籍はどうでしょうか? やはり雑誌とはかなり印象が違います。少なくとも林氏が検証した2013年までなら「あまり変化していない」と言えたでしょう。ただ、その後の推移を見ると、最近の物価上昇の影響がかなり大きいことがわかります。

紙の書籍市場推移(生産年齢1人あたり)

紙の書籍市場推移(生産年齢1人あたり)

さて、私は林氏の記事を読んだ2014年当時、この「インフレ率で調整」して「1人あたりの金額」で推移を見るという論証にすっかり感心してしまい、わざわざ自分で再検証なんて面倒なことはやりませんでした。

ところが今回、2014年以降はどうなったか? を調べようと「e-stat」から消費者物価指数の長期時系列データをダウンロードしてみたら、「総合」以外に品目別のデータも存在することに気づいてしまいました。もちろん「書籍」や「雑誌」の消費者物価指数も存在します。その推移は、総合指数とはけっこう違います。

2020年基準 消費者物価指数 長期時系列データ(品目別の書籍・雑誌・オマケでウェブコンテンツ利用料を追加)

2020年基準 消費者物価指数 長期時系列データ(品目別の書籍・雑誌・オマケでウェブコンテンツ利用料を追加)

とくに1990年以前は、日本書籍出版協会が「再販制度」のページで主張していた通り「出版物の定価は、出版社間の激しい価格競争のため低めに決められて」いたことがわかります。逆に近年は、書籍・雑誌とも総合指数より物価上昇率は高くなっています。

2020年基準 消費者物価指数 2020年以降

2020年基準 消費者物価指数 2020年以降

となると、総合ではなく、品目別の消費者物価指数で検証し直す必要があるでしょう。すると、ちょっと意外な事実が明らかになりました。以下は、サポートメンバー限定です。

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